小学生の記憶

2014/07/29

先日、生まれ育った地元に少しだけ寄り道。
今年の3月で統合により閉校した我が母校。
小学校の記憶ってうっすらだけど随所に残る思い出を辿ってみる。

 丘に谷にこだまする
 われらの声 われらのうた
 よく学び
 よく遊び
 働くよろこび知るよ
 明るい太陽と
 美しい自然は

 われらの友
 われらの友
 われらとうたう

 (省略)

 われらのわれらの
 左近山第二小学校

今日の天気はまさに”明るい太陽”。

働いているだけでは、喜びは得られない。
美しい自然こそ、我らの友。

今になって校歌のすばらしさに気づく。

自分が入学と同時にできた土俵はもうなくなってる。
坂にあるペイントはもう何十年も残ってる。
トーテムポールどうなったかな。

記憶は薄れているけど、母校よありがとう。
お疲れ様でした。。

そこから歩いて3分くらい。
近くにある商店街、母が駄菓子屋を営んでいた。
自宅よりもここに居ることが多かった。

ビアガーデンに盆踊り。懐かしいな。
この間の団地の盆踊りに参加したら急に恋しくなって来てしまったよ。

小さい頃から”商い”に触れたこと。
店番をして小さい子供、お年寄りいろんな人が出入りする
この店が大好きだった。

ここで培った知識や能力は、今となっては自分の財産。

そんな商店街も、いまはシャッター通り。
何か寂しかったけど家の前にあるシンボルの木が大事に守られているのだけは、唯一の救い。

毎日のように駄菓子を握りしめチャリをとばし、
何個もある基地をパトロール、新築・補修の繰り返し。

横浜生まれって都会育ち?って言われるけど。
横浜は広いのさ、僕らの町は横浜の辺境地、自然が多かったのよ。

毎日がアドベンチャー。
思い出せば子供の頃の自分のパワーに圧倒される。

リセットというよりも何かスイッチ入り直した感じ。