Think
2005.8.03
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ホワイトバントの目的と異なる意識

今日、友人とホワイトバンドから話が始まり、いろんな話になった。最近から売られ初めて街中で腕に白いゴムバンドをしている人をみかけることもあるだろう。自分も身につけているのだけれども。いろんなところで意見が出だしてきた。

善だ、偽善だ、などの話題から、流行だとか、有名人と同じだとか様々な観点があるなか、友人と話した一部にこんな話もあった。もしかして募金=ボランティアと勘違いしているのではないか? もちろんこの定義に関しては私観であるが、団体やら誰かにいわれて、誘われて啓発するものではない気がする。サイトをみてもらえればわかるのだが、この運動は個人個人の意識レベルの向上をメインにしていると思う。実際に300円という販売価格の数%しか団体の活動費として繁栄されない。その他のほとんどはというと流通や広告だ。そう、ここで重要な認知として、その国や自治体に寄付される部分はないということ。

有名人を起用して、ポスターとCMを作り。それらで訴えている。皆はどうかんがえるだろう。もちろん金銭の流れとしては善だろうが偽善だろうが目的は果たされるかもしれないが、そこで終わってしまう人が多くなる不安もある。

具体的にその意識を表現するための方法としてバンドなり赤い羽なりを身につけるということをしたとして、本当に大切なのはその後、自分が当事者として何ができるのかが、大事なんだなと。

そして自分はというと具体的なことは今のところ思いつかない。正直な気持ちとしていつまでもこのバンドをするわけにもいかない。ことや場所によって、そして自分の中の飽きというものある。はじめに言った流された一人でもあるのもたしか。しかし、だからといって、バンドを外したからどうこうってことにはならないと思う。こうやって記事を書き考えることによって、再び考えさせられたことも多かった。それだけで意味はあったのだと思うことにした。

ただ、さまざまな賛否が飛び交うようになったホワイトバンド、このバンドを販売する店
にも、もう少し配慮が欲しい。お金の流れや、これは募金ではなく意思表示だということ。それに気づかないで購入するほど、悲しいものは無い気がする。

モノは大切に、お金も命も大切に、そして電気も大切に。

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