嘗て不夜城だった崖にそびえる鉄工所と老婆

2005/06/29

友人とローカル線2人旅、友人は何度もローカル線の旅には行っているのだが、今回で私はローカル線デビュー。わたらせ渓谷鉄道で足尾の方へ。
銅山があるだけに、トロッコ列車という特別車両があるのだが、時期もので今はやってないとのこと、残念。朝9時に新宿を出て、午後1時に終点の間藤着。友人がいろいろコースを調べて巡る予定だたのだが、終点の陶芸教室にあったレンタルサイクル! 天気もよく、周囲に気になった場所があったので他の予定を全て捨ててブンブンサイクルw。
廃屋マニアとしては鉄工所跡地などを横目に、観るものに悶絶w
写真を撮り、廃線になった線路を歩く(誰かっ、Stand by meかけてっ!)、上り坂でパンパンになった足を川で冷やし一息。
帰りがけに鉄工所跡を見つめる老婆に声をかけてみました。
昔は不夜城だったこと、このあたりの自然は全部植林だという話、おばあさんはここで生まれここで育ったこと。鉄工所だけでなく、そこからいろんなものが付随して、硫酸工場があったりということも知った。今は静かな川も昔はすごい勢いだったそうで、日本で最初の水力発電ができたのもここの発電所だそうだ。崖に要塞のようにそびえる鉄工所の周りは、とても景気が良い時代を過ごし、枯れ果てた資源と共に朽ちていった。
ボロボロになった鉄工所が今でもこうやって残っているのは、地域のみんなで署名を集めた結果らしい。しかしそれがなければきっとこの老婆とも出会ってなかったし、そう考えると歴史と文化ののあるべき姿がここにあった気がする。
今回の旅で、「残す」という部分で非常に考えさせられた気がする。つい廃屋をみると、朽ちた美というか
カッコよさとか、時間という漠然として必然的なタイムラインを感じる衝動で、写真を撮ったりしていた。しかしそれは、朽ちていくなかで偶然にできた不規則性の産物、構図であったり質感を追っていただけなのかもしれないと。
友人の書いた日記などを読み、いままで見えなかった。価値というか存在についていろいろ思う。

<友人の日記抜粋>
ご婦人も寂しそうにしながら炭鉱を眺めていたけれど、当時の話をするときは、どこか楽しそうな表情に見えた。ただただ憶えていてくれること、それも掛け替えの無い形の1つなのかもしれない。

あの表情は、とても印象に残った。自分の祖父母と同じ年代くらいなのだが、嘗ての記憶を楽しそうに話す姿は不夜城の歴史と共に記憶に残る。
老婆との別れ際、坂道を下りながら込みあがる感情を穏やかにしてくれる町の風が心地良かった。