責任の所在と経緯

2004/11/12

友人の日記に。
—————————————————–
自分で自分を守る為には、それなりに学ぶ必要があるってことだ。
必要になってからじゃ遅い。
—————————————————–
とてもシンプルで当たり前のような言葉だが。ふと自分はきちんと備えているのか?もちろん、日々の生活の中としての意味が大きいかもしれないが、私個人では仕事にも大きくいえると思う、今の会社で学んだことの一つとしても「自分の身を守る」これは同じチームのチーフからも、入社した当初からいわれている。
もちろん、”自分だけ”というとエゴな感じがするが、「責任の所在と経緯」を残すことが重要だと言う。
具体的には細かいプロセス(工程)を必要とすることなのだが、些細な事でもメールをする、しかも1on1のやりとりではなく必ず同じチームの人へも送る。特に自分の部署や会社外に連絡する場合は、ほぼそれが義務づけられているくらい。それに口頭での依頼は無視、ほとんどの依頼はメールで行うよう徹底されている。
しかしながらこの細かいプロセスには、リスクもある。圧倒的にメールをする時間がかかる。やりとりと確認だけで半日つぶれることもあった。
先日、こんな話を友人(デザイン事務所)としていると「病気だね」って言われた。彼の会社ではスピード&デザイン重視なので細かいプロセスではなくアートワークに時間を費やす。
確かに俺も客観的にみると病気みたいとは思う。(きっと、それなりに大きな企業だからあるのかもしれないけど他の企業はどうなんだろう?)
でも唯一のメリット。
それは、「問題が起きたときの処理の早さ」と「原因解明が詳細に出てくる」。
素早く冷静な対応と2度と起こさないという意識を共有するには、最適なのかもしれない。
関わる人数が多ければ多いほど、関わるプロジェクトが大きいほど。
どんな小さな作業でも、気を抜かないのが大切なんだなって。
仕事での「それなりに学ぶ必要」だったのかな。